大阪と京都の間には1876年(明治9年)、淀川右岸(西側)に官営鉄道が引かれたが運賃が27銭と高く、上り12銭・下り10銭の淀川の蒸気船が貨客輸送の主力だった。
そこで左岸(東側)の京街道沿いに大阪と京都を結ぶ電気鉄道を建設する計画として、東京の渋沢栄一、岡崎邦輔などの実業家グループの私設鉄道法による「京阪鉄道」と、村野山人や松本重太郎などの京阪神地区の財界人らの軌道条例による「畿内電気鉄道」の建設計画が同時期に立てられた。
銭って今の感覚ではだいたいどんな感じなんだろう?
大阪と京都の間には1876年(明治9年)、淀川右岸(西側)に官営鉄道が引かれたが運賃が27銭と高く、上り12銭・下り10銭の淀川の蒸気船が貨客輸送の主力だった。
そこで左岸(東側)の京街道沿いに大阪と京都を結ぶ電気鉄道を建設する計画として、東京の渋沢栄一、岡崎邦輔などの実業家グループの私設鉄道法による「京阪鉄道」と、村野山人や松本重太郎などの京阪神地区の財界人らの軌道条例による「畿内電気鉄道」の建設計画が同時期に立てられた。
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