新教徒がその当初からして頑強に運という観念に反対したのは、正に記述にあたいする事実です。
その派の神学者たちは、初期キリスト教会の教父たちが使徒じみた熱狂をもって運に楯突いたのと同じように、運や偶然に向かって思いきった悪罵を放ったのです。
・・・このことはカルピン派の新教徒にとっては、超特別的に本当の事実でありました。
前世からの因縁-宿命・・・
・・・ということについて、いかめしく幻想的な信仰条項をもっているカルピン派にとっては、運とか偶然とかいうことぽは冒濱でしかなかったのです。
清教徒が人生に対する態度は、成功ということは勤勉・節約その他の月並みな美徳の確実な報酬である、というにあります。
だから、たとえわずかにもせよ世のなかに、幸運の寵愛を受ける人間があるという事実をむき出しにみとめることは、清教徒にとっては理論的にも罪深いことであり・・・
したがって運の実際的な作用に関して考究することは危険である、ということにして回避されました。
電話での占いはココです。